リーダーズサポート・大喜多 健吾のコーチングは、プロコーチ育成のためのティチャー&コーチング・起業家のためのパーソナルコーチング・企業参謀役としてのビジネスコーチングを行っております。

BLOG/NEWSブログ

トップ > 売上アップ > 道路設計技師からコーチングへの転身するに至った裏話~人生の2つの目的~

道路設計技師からコーチングへの転身するに至った裏話~人生の2つの目的~

自分を深く知ることが人間関係を豊かにするポイントです。

100人100通りの戦略コーチング!大喜多健吾です。

本日もお立ち寄りくださいましてありがとうございます。

 

今、商業出版に向けて原稿を整理しているのですが、

プロフィールを整理している中で、もともと道路設計エンジニアをしていた私が、どのような経緯でコーチングという「お客様の夢実現、目標達成、自己実現を応援する」仕事を生業にするようになったのかと改めて向き合うことになりました。

 

a1180_012210

 

 

実は、私はかつて、

心の奥底で、独立起業することに魅力を感じながらも、

「この不況の中で起業しても路頭に迷うリスクが高い」

と怯え、大学時代は公務員になることを目指して公務員試験の勉強をしていました。

 

しかし、ある建設会社の方々が集まる会合に参加させて頂いた際に、名古屋で建設コンサルタント会社をされている社長のFさんと出会い、

「大喜多君の将来の夢は何?」

と、尋ねられました。

 

本当は、

「いつか霞が関のエリート官僚になるんだ!そしたら、お金持ちになれるだろうし、生活も安定するだろう。そうなったら、今は全然ダメだけど少しは女の子に振り向いてもらえるようになるんじゃないかな。さらに、老後は天下りをしまくったら面白そう・・・」

と、若気の至りで自己中心的な動機で公務員を目指していたのですが、これはさすがに言えないので

 

私は少しおどおどしながら、

「公務員になって安定した人生を送ることです。」

と、答えました。

 

すると、Fさんから、

「それもイイと思うけど、本当に大喜多君が叶えたい夢は何なの?」

と、突っ込まれました。

 

人は追い込まれるとフッと自分も気づいていなかった本音が出るものかもしれません。

「本当は社長になりたいのです。社長になってお金持ちになりたいです。でも、この建設不況と言われている時代、これから会社を立ち上げるのはチョット無謀だと思っています。だから、親も先生も勧める公務員の道が無難ではないかと思っています。」

と、答えている自分がいました。

 

それを聞いたFさんは、立食パーティで使っていたお皿と箸を脇に置くと、

「大喜多君、人生は情熱があれば道は開けるよ。」

と、熱く背中を押して下さったのです。

 

私はそれに感動しました。また、翌日、FさんからのE-mailが届いていて、そこにはFさんが国家資格の「技術士」を取得して、独立・起業することを決断し、さまざまな苦難困難を乗り越えてチャンスをつかみ、今にいたるまでの体験談が『前進、前進、また前進』という題名でA4用紙5枚ほどにまとめられていました。

 

これがキッカケで、私は公務員になることをスパッとやめました。そして、

「いつかFさんのように独立して、起業家になるぞ!」

と夢を抱き、それに向けて前進することを決断したのでした。

 

大学院を修了後、いきなり独立・起業することは無謀だと思い、まずは社会人としての経験を通して技術力やスキルアップ、ビジネスマナー、営業力などを磨こうと思いました。5年間修業して、30歳になるまでに地元の三重県に戻って建設コンサルタント会社を開くことを目指しました。

 

そこで、修業に適した就職先を調べて、当時、東京都渋谷区に本社のある準大手建設コンサルタント会社に就職しました。

 

5年間の修業のために入社したので、朝から晩まで我武者羅に働きました。積極的に残業をしたり、休日出勤も喜んで対応しました。日々働けていること、経験できていることが、自分の夢の実現へつながっているようでワクワクしながら働く毎日でした。

 

さらに、共通の知り合いからの紹介で恋人もでき、2005年に結婚。自分に強いコンプレックスを持っていた私には奇跡とも言える出来事がでした。

2006年9月には長男が生まれ、こんな自分でも父親になれたと感動しました。

 

しかし、公私共に順調な生活は長くは続きませんでした。

 

社会人2年目、3年目になるにつれ、会社から与えられる責任やクライアントの厳しい要求から過度な肉体的・精神的ストレスに苦しむようになりました。

1ヶ月の残業時間が毎月200時間を超え、3ヵ月間休日なしの生活が続いたこともありました。

 

自分から「辛い」と言いだす勇気もなく、出張中に車を運転しながら、

「ここで交通事故を起こして入院したら、誰にも責められずに休めるな。それに、むしろ同情してもらえるかな・・・」

と、思ったこともありました。恐らく、うつ状態だったと思います。

「我武者羅に頑張れば必ず報われる」と信じて、家族の時間や自分の健康を犠牲にして得たものは「無力な自分」でした。

 

◆独立起業の夢はあきらめたくない。

◆でも、建設関係の仕事で転職したり、独立起業しても、この仕事のスタイル・生活スタイルを変えることはできないだろう。

◆だからといって、建設関係以外の仕事に転職するにしても、一体自分に何ができるのか分からないし、何をしたいのかもわからない。

◆それに、今、建設関係の仕事を辞めて転職したら、他の人から「負け犬」とバカにされるもの嫌だし、逃げる自分になるのも嫌だな・・・。

◆だけど、このままズルズル働き続けて30歳を超えたら、いよいよ建設関係以外の仕事へ転職することが難しくなる。転職サイトに掲載されている「未経験可」の仕事のほとんどが「採用年齢30歳まで」と書いてあるからな…。

 

こうした葛藤の中で1ヶ月、2ヵ月…と、時間だけが過ぎていきました。

 

そんなある日、私はふっと自分の部屋に飾ってあった色紙に目が止まりました。

その色紙には、「和顔愛語(わげんあいご)」という仏教用語が書かれてありました。

これは大学院修了時に研究室の恩師から戴いたもので、その色紙を見ていると当時の恩師から言って頂いた、はなむけの言葉がフーッと湧いてきました。

「大喜多君。謙虚に且つ覇気を持て。人生に迷ったら人に会いに行きなさい。」

 

そうして私は、勤め先の繁忙期が落ち着く年度明けまで何とか踏ん張り、休日をみつめては新幹線に乗って東京や大阪、名古屋など、さまざまな地域で開催されている起業家交流会や創業塾、起業セミナーへ足を運び、今まで出会ったことのなかった人たちとの出会い、見聞を深めました。

 

そんなある日、事業再生・経営改革を専門とする経営コンサルタントの先生と出会い、私の悩み相談に乗ってもらっていたところ、

「大喜多君にはコーチングの仕事があっていると思うよ。」

と、アドバイスをもらい、私ははじめてコーチングというキーワードを耳にするのでした。

それは、2006年5月初めのことです。

 

 

a0002_003663

 

 

 

このように、私の人生のターニングポイントで人との出会いがありました。

起業を本気で目指すとき、コーチングに出会ったとき、

また、その後もいろいろなターニングポイントを迎えることになるのですが、そこには必ず人との出会いがありました。

 

のちに私が出会った仏道の教えの中に、こんな一節があります。

 

-----------------------------------------------------------------

 

人生の目的の第一は、やはり、

「自己発見の旅」ということであろうと思います。

 

「個性を持って生まれてくる」ということ自体が、

「自分自身の人生を究めなさい」ということを意味しているのです。

 

もう一つの目的は、「他者とのかかわり」です。

「他とのかかわりにおいて自己を知り、また、互いに影響を与え合う存在として生きていくことの大切さを学ぶ」ということです。

 

他の人の存在がなく、自分ひとりだけでいても、自分自身を知ることは、なかなかできません。

考え方や意見の違う人、好きな人や嫌いな人など、いろいろな人がたくさんいて初めて、自分自身というものが分かります。

 

他の人は自分の思うようにならないものですが、いろいろな人がいるということは、自分自身を教えてくれるという意味で、本当にありがたいことなのです。

 

それで、人間は共同生活をしているわけです。

他の人がいなければ、自分自身のことがまったく分からないのです。

 

-----------------------------------------------------------------

 

こうした教えを改めて学ぶと、

人との出会いで人生が変わってきたことが自然と受け入れられるような気がします。

他の人を介して、自分自身の生き筋を見つけてきたように思います。

 

自分を知っても知っても知り切ることはできませんが、

他の人との関係、他の人を鏡として、自分を知っていく中に、

人生の豊かさが存在していることは間違いないようです。

 

 

一覧に戻る

お問い合わせはこちら