リーダーズサポート・大喜多 健吾のコーチングは、プロコーチ育成のためのティチャー&コーチング・起業家のためのパーソナルコーチング・企業参謀役としてのビジネスコーチングを行っております。

BLOG/NEWSブログ

トップ > 人間関係 > あらゆる恐れ心から自由になれる色即是空

あらゆる恐れ心から自由になれる色即是空

100人100通りの仏教を生かしたコーチング!

大喜多健吾です。

本日もお読み下さり有難うございます。

 

死を必要以上に恐れていませんか?
死を迎える時にどんな人生なら満足できますか?

 

死に対して、だれでも漠然とした恐怖を感じています。

なぜ怖いのか。理由として3つの不安があるのではないでしょうか。

 

 ●死んだらどうなるのだろう

 ●死ぬ時にはどんな痛みや苦しみがあるのだろう

 ●自分はいつどこで、どんな死に方をするのだろう

 

 死は未知のことで、わからない部分が多いから不安なのでしょう。死んだ人の感想を聞くことはできませんし、自分自身にも経験がないからです。

 子どもの頃、祖母に不安をぶつけると、お坊さんから聞いた話をしてくれました。

「どんな人でも必ず死ぬ。それが人間のさだめです。しかし、夫婦でも、友達でも、親子でも、だれが先に死ぬかはわかりません。どういう死に方をするかもわからないのですから、普段は気にかけないようにするのが一番です。

 考えても仕方のないことにとらわれることなく、毎日毎日いい生き方をしなさい。そうすればきっと、仏様が極楽浄土につれていってくださるでしょう」と。

 

 

 九死に一生を得て、生き方を見直す

 

 ある日、知り合いの映像制作会社のスタッフの方から「社長のNが緊急入院しました」と連絡がありました。心筋梗塞でした。3日前から肩に痛みがあり受診すると、医師の顔色が一変し、そのまま入院したとのことでした。もう少し遅かったら助からなかったかもしれないと言われたほど、悪い状態だったのです。

 一時は死を覚悟したNさんは退院後、食事を見直し、生活習慣をあらためました。

 Nさんはかなりの肥満体で、健康診断で再検査になることもたびたびでした。

 しかし、ずっと病気知らずだったため、あまり気にも留めず、好きな揚げ物やカロリーの高い食事を続けていたのでした。

そんなNさんでしたが、入院をきっかけに「ここで死ななかったのは、この世でまだやり直したことがあるに違いない。せっかく助かった命、謙虚に一生懸命に生きよう」と素直に思えるようになり、ヘルシーな食事や適度な運動を心がけるようになって、今も元気に仕事をされています。生命に限りがあることを痛感したため、1日1日がかけがえのないものと感じているそうです。

 

 仏教の説話に「毒矢のたとえ」というエピソードがあります。

 ある男が毒矢に刺されました。驚いた家族は、医師に診せ、一刻も早く毒矢を抜こうとします。しかし、男は「この矢を射たのはだれなのか。矢に塗られているのはどんな毒なのか。弓矢はどういう物か。それがわかるまでは抜いて欲しくない」と言いました。そうこうしているうちに、身体に毒が回って死んでしまったのでした。

 死に対してあれこれ考えるのは、毒矢について知ろうとした男と同じです。

 いつかは訪れる死を必要以上に恐れることなく、目の前のことに一生懸命取り組むほうがずっと大切です。

 

 

 肉体は仏様からお借りしているもの

 

 死とは肉体がほろびることですが、寿命が尽きれば人は死ぬ。

 それがあたりまえです。そもそも肉体自体が仏様からの借り物なのですから。

 般若心経の中に「色即是空(しきそくぜくう)」という言葉があります。

 すべては「空(くう)」であるという意味ですが、「色(しき)」とは、この世に存在するあらゆる物を言い、ひいては私たちの肉体をも意味します。

 

 つまり、肉体は存在するようで存在していない。

 身体を自分自身のものだと思っているから、死ぬのが怖くなるのです。

 仏教では、肉体は仏様からお借りした乗り物のようなものだと考えています。

 お借りした肉体を使って生きていくことが、この世で課された修行です。いずれは滅んでなくなるものに執着していても仕方がありません。生命が尽きるまで、どう生きるかのほうがずっと大切で、私たちが生きる意味はそこにあるという教えです。

 

 

 この一瞬を大切に生きるべき

 

「この世は仮のもので、すべては空である」という考えを、むなしいと感じる方がいるかもしれません。しかし、仏教では、生きている人の記憶に残っている限り、その人はまだ存在しているという考え方をします。

 たとえば、私の母方の祖父母はすでに亡くなりました。肉体はこの世にはありませんが、たくさんの思い出が残っています。

 1人の人間がこの世に誕生するまで、さまざまな縁や出来事が重なり、生命のバトンをつないでいます。私自身の存在自体、すでに奇跡なのですから、生命に限りがあるとはいえ、人間という存在を空虚なものだとは思いません。

 人には必ず両親がいて、祖父母がいます。会ったことがなく、一緒に暮らしたことがなくても、生命が親から子へ、子から孫へと受け継がれていくのは真実です。

 人の一生に限りはありますが、その記憶は周囲の人に受け継がれていき、その記憶がある限り、仏教的にはその人は今なお生きているのです。

 どうせ死ぬからと投げやりになるのではなく、どういう生き方を見せ、この世を終えたいか。それを日々考えていくことこそ、充実した人生を生きるヒントになります。

 

一覧に戻る

お問い合わせはこちら