職場や家庭の人間関係を邪魔する「普通は〇〇〇するだろう…」
2018年04月12日
仏教を活用して、クライアントと一緒に人間性の向上を目指しています。
100人100通りの人材育成・人事採用コーチング!大喜多健吾です。
相手が期待通りに動いてくれなくて、イライラしたり、
すごく悔しい気持ちになったりすることはありませんか?
例えば、職場で従業員に対して
「普通はこれぐらいやってくれて当然だろう…」
とか
「考えたらわかることなのにやってくれない…」
とか思えることってないのですか?
例えば、家庭において、
「母親なら子供に対して、普通はこうあるべきだろう…」
とか
「他の家の旦那だったら、もっと〇〇〇してくれるのに…」
とか思っているけど、どうせ言っても相手を不機嫌にさせてしまうだけだから言わないでおこうと辛抱していることってないですか?
このように、私たちはついつい身内や同じ職場、自分と近しい関係にある人たちに対して、「自分の常識」を相手に押し付けていることがあるかもしれません。
そして、その常識通りに動いてくれないことに対して、被害者になる自分がいるかもしれません。
ただ、ひょっとすると、、、
「普通は社会人ならこうするべきだろう…」
と従業員に対して思っている社長さん。
逆に従業員が「社長はこうあるべきだ」「こんな社長を応援したい」と思っている理想像に、あなたはどれだけ応えられているでしょうか?
「社長だったら普通はこうすべきだろう…」
と、従業員に思われていないでしょうか?
また、
「母親ならこうすべきだろう…」
とか
「妻なら旦那に対して、普通はこうだろう…」
と不満を持っている旦那さん。
逆に奥様から
「父親ならこうすべきだろう…」
とか
「旦那なら妻に対して、普通はこうするだろう…」
と思われていないでしょうか?
結局はお互い様で、お互いがお互いの理想通りではないのかもしれません。
お互いがお互いの「普通はこうするだろう…」の『普通』をできないことがあるのではないでしょうか。
人間関係の基本は
「相手は変えられない。変えられるのは自分の態度。」
「自分が変われば、自分が相手に与える影響が変わる。」
です。
自分は相手に「自分の普通」を押し付けない。
相手にやってもらっていることに対して「それはやってもらって当然」と無関心になることを辞め、相手が普通にやってくれていることに感謝できる人間性を磨く。
一方で、相手が希望する「普通はこうするだろう…」にすら応えられていない自分自身を自覚し(未熟で平凡な自分を認め)、ほんの少しでも相手に+αの価値を余分に与えられるように努める。
既にやっちまっている「マイナス」を、ほんの少しの努力による「+αの価値」で帳尻合わせ。
だから、やらせてもらってありがとう。
そう思える人間性を磨く。
つまり、良好な人間関係とは、
自分自身の人間性の「映し鏡」なのかもしれません。